年齢を重ねてくると、つくづく思うんですよね。
「人生、引き算が大事だな」と。
(もちろん、たまには「足し算」も必要ですが、基本スタンスとしてね。)
20代や30代の頃って、スキルや知識をとにかく足していく「足し算」の人生じゃないですか。
でも50目前の私たちがそれをやると、シンプルに息切れします。
実は今、ずっと書いてきた小説の最後の見直しをしているのですが、ここでも「引き算」の威力を痛感しています。
いらない言葉を削って削って引き算していくと、文章が見違えるほど良くなるんです。
足すんじゃなくて、削る。すると本当に伝えたいことがスッと浮き上がってきます。
これは家の片付けも同じ。
不要なものを捨ててスッキリさせると、「あ、こんな良いものもあったのに」と、埋もれていた大切な価値に気づけます。
自分にとって本当に必要なものはもう分かっている。だったら、いらないものはどんどん捨てていく。これこそが、物事を長く、楽しく続けるための極意だと思うんです。
今日は、私が大好きな「マラソン」を例に、死ぬ寸前まで楽しく走り続けるための「引き算の心理学」をお届けします。

練習のハードルは、地中深くまで埋める
「走らないとなんだかまずいぞ……」と義務感でいっぱいになると、不思議と気分が乗らなくなってきますよね。
好きで大切だからこそ、「走らなきゃ」というプレッシャーが知らず知らずのうちに重荷になってしまうんです。
だから私は、目標のハードルを地中に埋めました。
「今日は気分が乗らないから1kmでいいや」
「外に出て柔軟だけして帰ってこよう」。
これでOKです。
心理学でいう「スモールステップ」ですが、要するに「外に出ただけで自分エライ!」と褒め称える作戦です。
この前なんて、「よし走るぞ!」と玄関を開けた瞬間、顔にポツッと雨粒が落ちてきました。
「あ、雨だ。無理して風邪引いたら大変」と、滞在時間わずか3秒で見事なUターンを決めて、そのまま温泉に行く時間にすることにしました。
我慢すれば走れたレベルのパラパラ雨ですが、ここで無理をしないのが大人の引き算です(笑)。
筋トレとの決別
そして、大きな引き算をもう一つ。
私、筋トレをやめました。
雑誌やネットで「マラソンには筋トレが必須!」という情報を見るたび、「やっぱりタイムを伸ばすには筋トレもやらなきゃなぁ……」と思って、実はちょっとだけ試してみたんです。
……ええ、見事に長続きしませんでした。
昔から筋トレって本当に嫌いで苦痛だったんですよね。
きついし、苦しいし、やっていて全然楽しくない。 嫌なことを無理して組み込むと、一番好きな「走る」ことまで嫌いになってしまいます。
だから「もう筋トレはしない!」とすっぱり諦めることにしました。
世間の固定観念や「やったほうがいいこと」を捨てるのも、立派な引き算です。
「練習」をやめて「物語」の主人公になる

走る頻度も引き算しました。
以前は「週4〜5回走るぞ!」と高い目標を掲げては疲労で玉砕していたのですが、思い切って「週3日」に限定。
すると、「あー、今日も走らなきゃ」が「やっと明日走れる!」に変わるんです(希少性の原理ですね)。
疲労も抜けて体が軽い。
そして、走っている時は「練習」ではなく「その時々の物語を紡ぐ冒険」だと思っています。
いつもの河川敷を走っていても、その日によって湧き上がる感情は違うし、季節や天気で全く違う風景が流れていきます。
「あ、今日は風の匂いが違うな」と、その瞬間ごとの変化や感情を楽しむ。
それだけで、走る時間が極上のエンターテインメントになります。
自分へのご褒美(ワイロ)は大胆に
最後に欠かせないのが、自分へのご褒美です。
ちょっと奮発して厚底の良いランニングシューズを買い、イケてるサングラスをかけて走る。
それだけで、「おっ、今日の俺、なんかプロっぽくてイケてるんじゃない?」と、お店のガラス窓に映る自分の姿を見てニヤニヤしてしまうわけです。
形から入るってバカにできません。
走り終わった後に「今日は特別にちょっと贅沢な食事にしちゃおう」とニンジンをぶら下げるのもあり(オペラント条件付けですね)。
自分にワイロを渡してご機嫌をとります。
「ハードルは極限まで下げて、嫌なことはやらない。その代わり、最高に楽しむ工夫だけは全力でやる。」
年齢を重ねるほど、人生の荷物は軽いほうがいい。
いらないものを引き算して、本当に好きなことだけをリュックに詰めて、これからも自分のペースで走り続けようと思います。
皆さんも、人生の引き算、始めてみませんか?

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