【鳥海山登山記】18kgのリュックに詰めた夢とお酒!心理カウンセラーが「なぜ人は山に登るのか」を考えてみた

すっかり風が涼しくなり、秋の気配を感じる季節になりましたね。

この夏はマラソンでも素晴らしい経験ができたのですが、実はもうひとつ、忘れられない夏の一大イベントがありました。

それは、山好きの仲良しメンバー3人で挑んだ「鳥海山(ちょうかいさん)」への登山です!

今回は、苦しくも最高の思い出になった鳥海山登山と、心理カウンセラーの視点から「人はなぜ、わざわざ苦労して山に登るのか?」について考察してみたいと思います。

18kgのリュックと「浅はかな自信」

今回の登山の裏テーマ(?)は、「頂上で最高のお酒を飲むこと」。

そのためだけに、リュックの中にこれでもかと酒缶やボトルを詰め込みました。

その総重量、なんと17〜18kg!

これまでの私は「いかに荷物を軽量化して身軽に登るか」ばかりを追求してきたタイプでした。

しかし、最近はマラソンでかなり体を鍛えていたこともあり、「今の体力なら、トレーニングがてら余裕でいけるんじゃないか?」とちょっとした自信があったのです。

……結論から言いましょう。

「山を舐めてはいけない(涙)」

登り始めてしばらくすると、肩に食い込むずっしりとした重み。

「なぜ私はこんなに酒を担いでいるんだ…」という猛烈な後悔が押し寄せてきました。

片道約7時間の道のり、鍛えた体をもってしても、そんな甘いものではありませんでした。

奇跡の2日間と、満天の星空

しかし、苦難の先には思いがけないご褒美が待っていました。

実はこの登山の前後、現地はずっと雨続きだったのです。

ところが、私たちが山に入っていたその2日間だけ、奇跡的に最高のスッキリとした晴天に恵まれたんです!

「私が自称・晴れ女だから!」と胸を張る仲間もいれば、

「いやいや、私が設定した日程が完璧だったからでしょ!」と譲らない仲間もいて(笑)。

そんな賑やかな会話を楽しみながら進むと、頂上には言葉を失うほどの絶景が広がっていました。

そして夜には、空を埋め尽くすほどの満天の星空。

「なんてタイミングなんだろう」と、心から感動しました。

最近の私は、自分が本当にやりたいことを選択し、心がとても穏やかで晴れ渡るような毎日を送っています。

自分の心が晴れているからこそ、一番晴れてほしかった時にこんな奇跡的な出来事を引き寄せられたのかな、なんて思ったりもしました。

苦労して担ぎ上げたお酒で乾杯した頂上の一杯は、間違いなく人生で一番美味しいお酒でした!

心理学で読み解く「なぜ人は山に登るのか?」

人はなぜ、わざわざ苦しい思いをして山に登るのでしょうか。

例えば、「そこに山があるから」という有名な言葉のように、未知への挑戦や達成感を求めて登る人もいるでしょう。

あるいは、「大自然の中でリフレッシュしたい」「健康のため」といった理由で登る人も多いと思います。

さまざまな理由があると思いますが、心理カウンセラーである私が考える「山に登る理由」は少し違います。

私は、人は本能的に「暗闇の中で光を見つける練習」をしているのではないかと思うのです。

山登りは「マラソン」ともよく似ています。

あえて苦しい思いをすると分かっているのに、自らその環境に飛び込んでいく。

例えば、ヘリコプターで一気に山の頂上へ行って見る景色と、重い荷物を背負い、息を切らしながら自分の足で登って見る景色。

同じ景色であっても、人の心に響くものは全く違います。

道中、「もう駄目だ、苦しい」と立ち止まり、ふと顔を上げた瞬間に目の前に広がる美しい雲海や、一筋の光。

暗闇(苦労)が深ければ深いほど、その光は眩しく感じられます。

限界の中でふとその美しさに気づいたとき、それはただの「綺麗な景色」を超えて、生きている中で一番と言ってもいいくらい「尊い体験」として魂に刻まれるはずです。

「自ら選んだ苦労」と「押し付けられた苦労」の違い

人生には、登山のように「自ら好んで飛び込む苦労」だけでなく、望んでいないのに理不尽な状況を強いられる「不本意な苦難(押し付けられた苦労)」がたくさんありますよね。

この二つは、スタート地点の状況は異なります。

自ら選んだ山登りは、頂上に素晴らしい景色という「光」があることを知っています。

しかし、押し付けられた不本意な苦難の中では、突然深い暗闇に放り込まれるため、「光」があることすら信じられず、心もすり減ってしまいます。

ですが、実はどちらの苦境においても、ふと顔を上げて見つける「光(人生の意味や尊さ)」の本質は同じなのだと私は思います。

ただ、不本意な暗闇の中でその光に気づくことが、圧倒的に難しいだけなのです。

では、そんな「不本意な苦難」に直面したとき、私たちはどう考えればいいのでしょうか。

ここで参考になるのが、精神科医ヴィクトール・フランクルの心理学です。

彼は過酷な強制収容所という極限の状況下で、こう気づきました。

「人間は、どんな状況下にあっても、その状況に対して自分がどういう態度をとるかを選ぶ自由だけは決して奪われない」と。

不本意な苦労の真っ只中にいるときは、ただ「やらされている」「耐えるだけ」と下を向くのではなく、自分の意思でふと顔を上げ、ほんの小さな「光」を探してみる。

「この出来事から何を学べるだろうか」 「この苦しみの中で、あえて自分はどう振る舞うか」 そうやって、押し付けられた環境に対して「自ら意味を見出す(光に気づく)」

という主体的な態度に切り替わった瞬間、その体験は「ただの理不尽な苦痛」から、「自分の人生にとって意味のある尊い体験」へと変わるはずです。

どんなに苦しいことがあっても、光を見出し、それに気づくことができたとき。

それこそが人生において一番意味のある体験なのではないでしょうか。

だからこそ私たちは、本能的に自ら山に登り、マラソンを走り、苦しい中で光に気づく「練習」をしているのかもしれません。

本当に理不尽な暗闇に落ちたとき、それでも顔を上げて光を見つけることができるように。

まとめ:仲間と「今」の生き方に感謝

道中、いろいろなトラブルもありましたが、3人で力を合わせ、励まし合いながら無事に頂上まで行き、下山することができました。

重いリュックに苦しんだ体験も、最高の景色と仲間のおかげで、一生ものの「良い思い出」になりました。

以前の自分とは比べものにならないくらい、心が穏やかで楽しめている「今の生き方」。

そんな自分の状態があったからこそ、この素晴らしい奇跡の2日間に巡り合えた気がします。

皆さんも、もし人生で苦しい坂道に直面したときは、顔を上げて「光」を探してみてくださいね。

……あ、でも、リュックに入れるお酒の量は、ほどほどにしておくことを強くおすすめします!(笑)

心理カウンセラー 木村裕

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