先日アップしたブログ記事「成功とは『自分に還り』、登るべき山を見つけちゃった瞬間のこと」に対して、コメント欄でこのような問いかけをいただきました。
※まだ読んでいない方は、まずこちらの記事をご覧ください [成功とは「自分に還り」、登るべき山を見つけちゃった瞬間のこと]
「あなたは自分の娘が, もし自分より先に死んだら, それも『プレゼント』だと受け取ることができるんですか?」
この質問をいただいたとき、私は「あぁ、私の書いた言葉を、これほどまでに真っ直ぐに、ご自身の人生に照らし合わせて受け止めてくださったのだな」と感じました。
前回の記事で、私は「たとえ短く小さな命だったとしても、その輝きを受け取ることこそがプレゼントだ」と書きました。
それを読んで、「では、もしそれが自分の愛する娘だったら?」と問うのは、ごく自然で、同時に避けては通れない、当たり前で大切な心の動きなのだと思います。
🌿 この問いに込められた「切実な想い」を想像して
この問いを投げかけてくださった方が、今どのような状況にいらっしゃるのか、私の勝手な想像かもしれません。もし見当違いであれば、どうぞ「こういう視点もあるのだな」と、一つのメッセージとして受け取ってください。
けれど、あえてこのような問いを私にぶつけてくださるということは、ご自身が今まさに、大切な方を失った絶望の淵にいらっしゃるか、あるいは「もしそうなったら」という、命を削るような不安と向き合っていらっしゃるのではないかと感じました。
「プレゼントなんて、そんな簡単に言えることじゃない」 「今、この苦しみの中にいる自分を、誰が救ってくれるのか」
そんな、震えるような心の叫びが聞こえてくるようでした。 その痛みは、それだけその対象を深く、深く愛してきたという、何よりの証なのだと思います。
🌿 なぜ、あえて「ブログ」でお答えしようと思ったのか
このコメントをいただいたとき、私は返信欄を通じて、「このお話は、改めてブログという形できちんとお返事させてください」という私の想いをお伝えしました。
それは、この問いが、私と質問者さんだけの二人のやり取りで終わらせてしまうには、あまりにも尊いものだと感じたからです。
この対話の中にあるメッセージは、「今、同じように暗闇の中にいる多くの人にとっても、必ず必要な愛のメッセージになる」と確信しました。
誰にとっても愛する人との別れは、人生で最も重く、深いテーマです。
だからこそ、個別の返信という形ではなく、改めてこのブログという場所で言葉を尽くしてお答えすることを選びました。この対話が、誰かの凍りついた心を少しでも溶かす「救いのメッセージ」になればと願っています。
🌿 私の答えは、「はい、受け取ります」

私の答えは、一貫しています。「はい、受け取ります」です。
もちろん、そんなことが起きれば、私は絶望に暮れ、深い闇の底に突き落とされるでしょう。涙が止まらない日が何日も、何ヶ月も続くはずです。
けれど、私はその「絶望」という名の味さえも、娘が遺してくれた大切なプレゼントとして受け取ります。
愛する人を失い、身を裂かれるような思いをすること。 その痛みの深さは、それほどまでに深く誰かを愛せたという、娘が私に教えてくれた「愛の経験」そのものだからです。
その止まらない涙も、胸を締め付ける苦しさも、すべては娘が生きていた証であり、私に遺してくれた感情のギフトです。その絶望を否定せず、しっかりと味わい、自分の一部として大切に抱きしめていくこと。
そうやって娘が遺したすべての「味」と共に生きていくことこそが、旅立った娘への本当の供養になると私は考えています。
🌿 「親より先に死ぬのは親不孝」という言葉への違和感
世の中には「親より先に死なないことが一番の親孝行だ」という言葉があふれています。しかし、この言葉は時に、あまりにも重い「縛り」となって遺された人を苦しめます。
病気で数年しか生きられないと分かって生まれてくる子もいます。 不慮の事故で、志半ばで旅立つ人もいます。
もし「先に死ぬことが親不孝」なのだとしたら、懸命に生きた彼らの人生は、最期に「親不孝」というレッレッテルを貼られて終わってしまうのでしょうか?
決して、そんなことはありません。
命の価値は、長さで決まるものではないからです。
🌿 旅立った命が教えてくれる「ギフト」
私は、娘がもし先に旅立ったとしても、それを娘からの「愛のメッセージ」として受け取ります。
娘がその短い、あるいは長い時間をかけて私に見せてくれたもの。教えてくれた愛。
それを、たとえ涙で前が見えないような日々の中であっても、いつか必ず自分の力に変えていきたい。その「絶望から感じ取れるもの」すべてを大切に扱うことこそが、娘の想いを裏切らない唯一の道だと思うのです。
- 娘が遺してくれたメッセージを、時間をかけてしっかりと受け取ること。
- その絶望の味さえも、愛を知った証として感謝すること。
- そこから学び、自分をより幸せに導くこと。
- そして、自分が得た愛を周りの人へ届けていくこと。
それこそが、その子がこの世に存在した本当の意味であり、遺された私たちができる最大の手向け(たむけ)ではないでしょうか。
🌿 焦点は「順番」ではなく「愛」にある

大切なのは、「親より先か後か」という順番に焦点を当てることではありません。 その死を通じて、「どんな愛のメッセージが届けられたのか」に焦点を当てることです。
親より先に旅立った子が、親不孝なんてことはあり得ません。 その子は、その命をかけて、私たちに「愛すること」や「生きることの尊さ」、そして「別れの深さ」を教えてくれたのです。
どんなに短くても、その人生は愛に満ちた、立派な、完結した人生です。 私たちは、悲しみの中でそのギフトを見つける義務があります。
その子が遺した想いを絶やさず、絶望さえも糧にして、自分自身が幸せに生き、周りに愛を届けること。それが、旅立ったその人が一番喜んでくれることだと私は信じています。
🌿 最後に、この問いを投げかけてくださったあなたへ
あなたの問いがあったからこそ、私自身も「愛の本当の姿」について、改めて深く深く向き合うことができました。
そして、この答えを必要としている多くの人へ、このメッセージを届けるきっかけをいただきました。本当にありがとうございます。
この問いを私に届けてくださったあなたが、今、どのような心境や環境の中にいらしたとしても、ご自身の心から湧き上がる言葉をそのまま私にぶつけてくださった。
その真っ直ぐな想いを、私は何より大切に受け取らせていただきます。
愛する人との絆は、目に見える形が変わったとしても、消えることはありません。
旅立った魂は、今も私たちのすぐそばで、私たちが自分自身の山を歩み続け、絶望さえも愛として味わい尽くすことを、静かに、けれど力強く見守ってくれている。私はそう信じています。
あなたがこれからも、ご自身の人生を大切に歩み、その中で届けられる「愛のメッセージ」を一つひとつ、あなたのペースで大切に受け取っていかれること。その尊い道のりを、私自身も大切に胸に抱きながら、そっと見守っていきたい。そんな願いを込めて、この記事を結びたいと思います。
心理カウンセラー 木村 裕
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