100万円の般若と、トイレの神様

先週の日曜日、冬とは思えないような暖かな日差しの中、私はいつものようにマラソンをしておりました。

走りながらふと、ある駐車場の入り口で足が止まりそうになったんです。 そこには、思わず二度見するような、なんとも「おっかない」看板が鎮座しておりました。

「無断駐車は罰金100万円! 監視カメラで見張っていますよ……」

ひえぇ、おそろしい。 看板の文字がまるで般若のような顔をして、こっちを睨みつけてくるじゃありませんか。

走りながら、私はふと考えちゃったんです。 「この看板の持ち主、一体どんなハードボイルドな人生を歩んできたんだろう?」って。

単に「車を停められてムカついた」なんてレベルじゃない。 きっとこれまでの人生で、何度も人に裏切られ、大切にしていたものを土足で踏みにじられ、「誰も信じられない! 守るためには攻撃あるのみ!」と、肩を怒らせて武装し続けてきた……そんな孤独な背景が、看板の行間からダダ漏れしている気がしたんです。

でもね、たとえどんな深い傷があったとしても、やっぱりこのメッセージは「不愉快」の極み(笑)。 「100万円」だの「監視」だの、そんな脅し文句を見せつけられると、何も悪いことをしてない私まで、なんだか心がザラッとして落ち着かなくなります。

言葉っていうのは、残酷なまでにその人の「生き様」を映し出す鏡です。 「私は誰も信じていません!」という絶望の叫びが、負のエネルギーとなって周囲にバラ撒かれている。

なんとももったいない話ですよね。

🚽 コンビニのトイレは「幸せを配るメッセージ」

そんなモヤモヤを抱えた帰り道、立ち寄ったコンビニのトイレで、私は「正解」に出会いました。

ドアを開けると、そこにはあのお馴染みの一行が。 「いつも綺麗に使ってくださって、ありがとうございます」

これですよ、これ! 私がさっきの般若看板に求めていた「愛」は!

まだ使ってもいないのに、「あなたは綺麗に使う素敵な人ですよ」って先に決めつけちゃう. この厚かましいまでの信頼(笑)。

恐怖で脅して「自分の生き様の寂しさ」を露呈させるのではなく、相手の善意を信じて、先に「ありがとう」を渡してしまう。

これ、日本古来の知恵で「予祝(よしゅく)」って言うんですけど、心理学的にも「先にいいイメージをプレゼントされると、人間はその通りの振る舞いをしたくなる」という、とっても素敵な心の仕組みを利用しているんです。

こう言われると、なんだか誇らしい気持ちになって、自然と丁寧に閉めちゃいませんか?

「100万円の呪い」で世界を凍らせるのか、「先出しのありがとう」で世界をちょっぴり温かくするのか。 選ぶ言葉ひとつで、私たちの毎日はもっと面白くなるはず。

そんなことを考えながら、今日も私は猫と一緒に、平和に、ゆっくりと休みを過ごすのでした。

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