世界は、もう会えない人たちの「祈り」でできている。

こんにちは、心理カウンセラー 木村裕です。

ずっと心の重荷だった確定申告をようやく終わらせ、 ホッとしたのも束の間。

一区切りの祝杯代わりに食べたカップラーメンを堪能し、 今は心地よい「けだるさ」の中にいます。

でも、この動けない時間があったからこそ、私に最高のギフトが届きました。 それは、何十年も前の、遠い夏の夜の記憶です。

二度と会えない人がくれた、黄金のじゃがバター

大学時代、バイクで北海道を巡っていた私と友人は、 公園のベンチで野宿をしようとしていました。

そこへ通りがかった、犬を連れた一人の女性。 彼女が家からわざわざ用意して持ってきてくれた、ホカホカの「じゃがバター」。

名前すら聞いていません。 湯気の香りさえも、今はもうありありと思い出すことはできません。

誠に不思議なものです。 一緒に旅をした友人とはもう会うこともないし、 彼女の顔も, 名前も、もう思い出せなくなっているのに。

二度と会うこともない。どこで何をしているかもわからない。 そんな、ただ一度すれ違っただけの「贈りもの」のような善意が、 今の自分を支えてくれている。

この事実に気づいたとき、胸の奥がジーンと熱くなりました。

🌈 人生を支える、不思議なご縁

今日この「けだるさ」の中で、ふと感じたんです。

私の人生は、私が自分で歩んできただけではない。 あの夜の彼女や、かつての友人や、名もなき多くの人たちの善意が、 まるで目に見えない網の目のように重なり合って、 今の自分を支えてくれているんじゃないか、と。

多くの人の人生が混じり合い、溶け合い、今の私の「幸せ」を形作っている。 そう思うと、この「けだるい今」さえも、なんだか不思議な安心感に包まれます。

🕊️ 結びに:最期の瞬間に、意味を持つもの

今の私は、まだまだ執着もたくさんあるし、なりきれていない自分もいます。 でも、この「だるさ」の中で一番強く感じていること。

それは、あの夜、名前も告げずにじゃがバターを届けてくれた彼女のように、 損得を抜きにして動ける人間になりたいということです。

見返りなんて一切考えず、ただ目の前の人に笑顔になってほしい。 その一念だけで、ふっと体が動くような。

そんな思いで行動できる人間になれたら、 それ以上に「かっこいい人生」なんて、他にない。

なぜなら、人はいつか必ずこの世を去るからです。 人生の最期の瞬間に、「生きてきて良かったな」と思えるものは一体何でしょうか。

それは、お金や、きらびやかな成功、あるいは優雅な暮らしといった、 目に見えて派手な自己満足ではないはずです。

もっと些細で、おごそかで、あの夜のじゃがバターのような「温かい人との触れ合い」。 そんな、見返りを求めない純粋な繋がりの記憶こそが、 最後に一番大切な意味を持ってくるのではないか。

人生には、それしか意味がないんじゃないか。 そんな風にさえ思えるのは、今の私が「だるさ」の中で、 人との繋がりの温かさをしみじみと感じているからかもしれません。

一人の人生を、もう二度と会うことのない多くの人たちが支えている不思議な世の中。 私もその大きな巡りの中に混じり合いながら、

いつか誰かの心に、あの時受け取ったじゃがバターのような 温かい灯をともせる人間になれたら……。

そんなことを願いながら、今はもう少しだけ、 この「心地よいだるさ」に身を任せてみようと思います。

🥔 今日の「ジーン」をお裾分け

あの夜の温もりを思い出す、北海道十勝産の「大正メークイン」のじゃがバターです。 レンジで温めるだけで、素材本来の優しい味が広がります。

ホカホカの湯気とともに、心温まるひとときを。

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